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日本野鳥の会 諏訪支部

塩嶺小鳥バス
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走り続けて60年の「小鳥バス」

 塩嶺「小鳥バス」は昭和29年に、日本野鳥の会諏訪支部の主催で始まりました。野鳥の生息に適した塩嶺一帯は、戦前から戦後の昭和23年ころまで、焼き鳥用のカスミ網猟が行われた鳥屋場(とやば)があった場所でした。

 当時、塩嶺の活用法を考えていた岡谷市は、「自然の素材を生かした公園づくりが望ましい」とした専門家の診断結果から、市議会全員協議会に地元の野鳥研究家で、教員だった故小平万栄さんを招き意見を求め、ここで「小鳥バス」が発案されたのです。

 運行当初は5月から7月までの3ヵ月間でしたが、15回目からは5月と6月の2ヵ月間の毎週日曜日となりました。小鳥のコーラスを楽しみながら自然を学ぶユニークな催しの知名度は高まって、小鳥バスファンも増えました。25回目からは事業も岡谷市に移管され、今では市の風物詩。「小鳥バス」は俳句の季語ともなりました。この事業の定着などにより、環境省は未来に残すべき音として、塩嶺の野鳥のさえずりを「日本の音風景百選」に認定しました。

S29頃のバス
昭和29年頃の小鳥バス
現在のバス
現在の小鳥バス

「小鳥バス」創設者 小平萬榮 氏

小平萬榮 氏 明治38年(1905)〜平成9年(1997)
 教員のかたわら昭和23年(1948)に諏訪探鳥会、同29年(1954)に日本野鳥の会諏訪支部を発足させ、県内の野鳥観察の先駆けを作りました。塩嶺「小鳥バス」を発案し、その解説を務め、ユニークな語りは「万栄節」と称され親しまれました。

 日本野鳥の会理事、長野県自然環境保全審議会委員など歴任。著書に「しなの野鳥記」「小鳥バス」ほか。昭和50年(1975)には野鳥愛護の啓蒙を広めた功績で勲六等単光旭日章を授章しました。

歴史の中の「塩嶺」とは

 塩嶺とは略称で正しくは塩尻峠、古くは諏訪嶺とも言われ、主要な街道だった旧中山道があります。峠の名の由来は、日本海の塩と太平洋の塩が供給された、終点を意味した所とされています。

 この一帯はまた戦国時代の古戦場です。天文17年(1548)7月19日に、甲斐の武田信玄と、松本の小笠原長時の軍勢が合戦しました。この峠に陣取った小笠原勢が約5000、下諏訪に陣を張った武田勢は約7000。この戦いで武田軍が約150人討たれたが、小笠原軍は約1000の兵を失って敗退。信濃攻略を進めていた信玄にとって、この合戦は重要な一戦になったと伝えられています。

 また旧中山道は、文久元年(1861)11月5日に、皇女和宮が将軍家に嫁ぐ際にお通りになった峠です。後に明治天皇、昭和天皇が立ち寄られ、風光明媚な景観を楽しまれた御野立公園で名高い場所となりました。

「塩嶺」の自然の景観は

 標高1020メートルの塩嶺御野立公園は、国定公園八ヶ岳中信高原の一角にあります。ここからは眼下の諏訪湖、その左奥に八ヶ岳連峰、右奥には南アルプスが望め、その中間に日本一の富士山(3775.6m)の眺めがあります。また第二峰の北岳(3192.4m)、第三峰の奥穂高岳(3190m)といった我が国の三高峰が見える所です。

 素晴らしい眺望は多くの人の感動を呼び、江戸時代には安藤広重が、富岳三十六景のひとつに、ここからの風景を浮世絵に残しています。

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